阿部耕也の紅茶日記
哲学倶楽部 森岡レポートその2

時間 空間 人との間に存在するもの

 ある秋の日、やわらかい光がカーテンごしに降り注ぐ小さな部屋で、環境も年齢もちがう数人があつまってお茶を飲みました。
それぞれに刻まれる時間の流れの中で、その数時間を一緒に過ごすことになったのは、選択してきた一つ一つの結果が重なって初めて現実となる貴重な出来事です。
 阿部先生が講師をされる哲学倶楽部の様子をレポートするのにピッタリな言葉は「交差点を切り取ったような空間」です。沢山の人の流れのなか、様々な価値観や考え方を普通に持ち寄り、強いジャッジ(それは違う、とかダメとか)なしで、自分のことや相手のことを考えられる、ありそうでない時間です。

 そんな集まりの中にいて、私がいつも感じることは(みんな自分の内面を表現したがっている。けれど内面を自然に受け止めて分析できる時間や場所、相手がいないから、自分についてよく考えることをやめているんだな)ということです。
「不安の理由や現状に感じる違和感」、その原因を突き詰めると自分が何をどう思うか、よくわかっていないことが根本にあると思います。自分にとっての幸せや、自分にとっての恐怖。その理由について、周りにあふれる情報に惑わされた価値観ではなく、自分の内から感じるものをきちんと芯にしていけば、どんなことに対しても自分らしい(納得できる)方針が決まるのだと思います。
 
このような文章を書いている時、「自分」という単語を一番多く使います。私が私について考えるとき、過去にある人に言われた「自分自分って、自分さえよければ好き勝手していいのか?まわりのことも考えてほしい。」という内容を思い出します。
まず自分。このスタンスは私としては変わりません。与えられた人生の時間は限られていて、自分と大切な人を幸せにするために生きていると思うからです。けれど、最近考えるのは(自分と子供を幸せにしたい、その暖かい波動を周りにも拡げていけたらいいなあ。)ということです。頑なに自分の周りにバリアをはるのではなく、やわらかく周囲と調和してみんないい感じになれたら・・・物事をあいまいにして受け入れるのではなく、はっきりと意志を持っていい関係を築くようにしたい、と思うようになりました。

哲学倶楽部に参加する人は、誰に強制されたわけでもなく、それぞれ似たところもそうなく、本当にどこかの交差点をそのまま切り取ってきたような感じです。その人達が、阿部先生という存在をリトマス試験紙にして自分自身を確認したり発見したりしているような気がします
今回は小学5年生の男の子もいて、始めはテーブルの下に座り込みじっとしていましたが、しばらくすると背をむけて座りみんなの話しを聞いていました。背中でぐんぐん話を吸収しているのが私にもわかりました。そして後半になると正面を向いて先生の話にタイミングよく反応していました。子供の感性は正直です。自分に違和感のある空間には一時もいられないはずですから、彼にとっては自分にフィットする時間だったのでしょう。
 また、反応の仕方も人それぞれで、まっすぐに顔を見てうなずきながら聞く人もいれば、けっして相づちを打ったりうなずいたりもしないでじっと聞いている人もいます。自分の意志でそこにいながら、うなずかないで聞いているということは私には経験がなかったので興味深かったのですが、彼女が一番あの時間に深く観察し、考えて吸収していたように思います。またどこかで会うことがあったら、どんな変化をする(あるいはしない)のか、見てみたいな、またお会いしたいな、と思う人です。こんな出会いもこの集まりならではのものです。自分と相手、そこには家族、仕事、恋愛など何の関係もないのに、自分の内面を自然にありのままを伝えられ、お互いにジャッジせずに受け止め分析することで内容を深めていける、とても愉しい時間です。

 自分について深く考えた内容を、大切な毎日で活かせるように行動にして表現していきたいと思います。言葉ではスマートに表現できても、実際は泣いたり怒ったりの連続です。でも、それは私が自分にあう環境を創る上で必要なことだと思います。どの人も大切に思いたい。関係は変化しても、それを優しい気持ちでお互いが受け入れられるように時を重ねたい。今、そんな思いでいっぱいです。
 阿部先生、倶楽部に同席できたみなさん、そして私をそこにいさせてくれた何か・・  とってもよかったです。ありがとうございました。次回もぜひ!

                             森岡あゆみ