阿部耕也の紅茶日記
第6回 イギリスの「バス」

私の旅は鉄道とバスによる移動です。どちらも時間通りに運行することはまずないので、計画には幅を持たせて行動したものです。20~30分遅れることは日常茶飯事です。さすがに40分を過ぎると不安になったものです。

さてコッツウォルズは美しい村というイメージで日本人にも人気ですね。都度日帰りで幾つかのティールームを廻りました。

『バジャーズホール』はチッピング・カムデンという、はちみつ色の石で造られた家並みと藁葺き屋根がかわいい村のティールームです。ロンドンからモートン・イン・マーシュまで1時間25分、ここからはバスで30分ほどでこの村に到着します。ローカルバスはだいたい1時間に1本あればよい方で(ないことが多い)、この日もバスの時間まで1時間以上余裕があったので、アンティーク・ハントを楽しむことが出来ました。ここモートン・イン・マーシュは店の数や内容が充実したアンティーク・ハントが楽しめる街でもあるのです。ほぼ一目惚れで、2枚の素晴らしい手刺繍のテーブルクロスを購入しました。

建物は1500年代後期のものだそうで、歪んでいるというかへしゃげているというか、、、。でももっと床そのものがひどい傾斜で当然テーブルと私の体までもが斜めになって紅茶を飲んだ時もあったことを思えば、まだましな方かしら(笑)お昼時だったので『コテージパイ』を注文しました。もちろんその後スコーンも食べました。あぁおなかいっぱい。(バスの時間まで)この街の散策を楽しみました。さて出発時刻が来ましたがバスが来ません。するとひとりの男性が近づいて来ました。アルコールが入っているのか陽気なのか、とにかくめちゃめちゃ明るいのです。彼は話が伝わらないことを気にも留めず、めげもせず、一人で陽気に話し続けます。こちらは何を言っているのか分からなくてちょっと困り顔。「でもそんなの関係ない」。40分を過ぎたところで1台のバスが来ました。叫ぶように「あのバスですか?!」と指差すと彼は「あのバスだ!走れ~!!」と叫びました。私は斜め向かいのバス停に止まるバスめがけて走りだしました。はっとして振り向きました。彼は手を振っています。あれ、彼は乗らないの?そうです、不安そうに一人でキョロキョロしている私を励ますために40分という無駄な時間を共に過ごしてくれたのでした。


一時間に1本もないバスが平気で40分以上も遅れて来ることが何の不思議でもないなんて、日本ではありえないことですよね。でもイギリスでは何度も何度もそうでしたから、心の準備をせざるを得ず、慣れてしまいました。慣れかな?いいえ、理解かもしれません。「40分待たされた」というより「40分待ってあげた」のであって、どうして待てたのかというと、こちらに来てからというもの私も周囲に「40分待たせてきた」という思いが強いからでした。語学力もないのに、目的(イギリスという国で紅茶に触れる)を達成しなければないない私は、なりふり構わず助けを求めることがたくさんありました。道行く人に「すみません」と声を掛けると、誰もが力になろうと立ち止まってくれました。旅に出る前は必ずロンドンの総合観光案内所でルートと時刻を教えてもらいましたし、現地のインフォメーションでも営業終了したにも関わらず宿を探してもらったこともありました。イギリスに来てからというもの助けてもらうことばかりだったのです。

地方の路線のバスの運転手などは輪をかけて親切でした。バス停という物理的位置などお構いなしに乗客は自分の降りたい場所を彼に告げています。田舎を走るバスですから、乗客(そのほとんどがおじいちゃまやおばあちゃま)と運転手は顔馴染みで、もう何年来のお付き合いなのでしょう。バスを降りる時はお互いに「See you」と声を掛け合います。時間通りに運行することに神経質になったりせず、人をきちんと運べている日常を喜んでいる、そんな笑顔です。

イギリスではバスの運転手の他にも紅茶にまつわるサービスでいいなぁと感じたものがあります。クリームティーを注文するとスコーンにクロテッドクリームとジャムが、紅茶にはミルクとお湯差しが運ばれて来ますが、これらサービスに該当するものが実にたっぷりと提供されるのです。無駄な部分に気前のいいを彼らに生かされたイギリスでの1ヶ月の経験から、帰国後は紅茶を点てることに如何なる無駄感も感じなくなりました。「紅茶を早く飲んで欲しい」「残された」「おいしいと言ってくれない」というイライラからフリーになれたのです。

最後に、もう一つの無駄をご紹介して終りにしたいと思います。イギリスには故人を偲んでベンチを贈る習慣があります。公園や川沿いを散歩していると、あちらこちらに寄贈ベンチを見つけたものです。「ありがとう」と返してもらえない出費も無駄と言えば無駄。そう、やはり見返りを期待しない行為にこそ心がこもるのですね。